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日本の和食文化を取り戻して進化させたい!
株式会社いろはにほへと
炭火焼干物定食しんぱち食堂は、株式会社越後屋(代表取締役 春田憲司)が経営する干物定食専門店。現在55店舗(直営 27店、FC 28店)を出店しており、伸び続けている。
しんぱち食堂のこだわり
しんぱち食堂にはこだわりがある。そのこだわりをそのまま店のコンセプトとして掲げ、公開している。
「外食とは、家庭ではなかなかできない食事の提供によって、人々に重宝され、足を運ばれる価値があります。和食を家庭で当たり前に食べていた時代から変わって、今日のように洋食が家庭でのメインになると、今度は手をかけた和食こそが、日本人にとって嬉しい外食となっています。男女や年代を問わず、ずっと好まれるのはご飯と味噌汁を組み合わせた定食、素材からこだわり、手をかけて繊細な味つけをほどこしたシンプルなメニュー。それこそが、長年愛されて来た日本人の味、本当の贅沢な和食といえましょう。〝日本の食文化を取り戻し、進化させたい。〟それが私たち『しんぱち食堂』のコンセプトです」
またしんぱち食堂は、「炭火焼干物食堂のファーストフード」と自認している通り、手軽にスピーディに食事できる店である。客席をコの字型に配置し、その真ん中でオペレーションすることで速やかに料理を提供できる。干物は独自に開発した炭火焼機で両面から焼くため、通常の炭火焼の約半分の時間で中までしっかり焼き上げられ、ジューシーなおいしさを提供できる。
野球漬けの少年時代
江波戸社長(創業者)の少年時代は野球漬けの日々で、勉強はあまりしなかった。そんな野球少年が、どうして飲食に興味を持つようになったのだろう。
母親は江戸 (東京・上野)出身だが父親は千葉の人で、江波戸少年は千葉の九十九里浜近くの町で育った。野球を始めたのは小学校4年生から。地元の野球部 のある中学校に入った。子どもの頃から野球のセンスは良かったという。その後、甲子園出場実績のある成東高校へ進学。偏差値の高い進学校でもある。偏差値60台後半だった江波戸少年は理数科を目指して受験したのだが、受験日に発熱して力を出しきれず、普通科に入った。「本番に弱い」ことをその頃から自覚し始めたそうだ。
もちろん野球部に入部。1年生の夏からピッチャーを務め、江波戸がいれば甲子園に行けると大いに期待されたが、本番の弱さが続く。2年生では肩を壊して登録抹消。3年生の時は選手全員がウイルス性の風邪に感染し、3回戦で前年の全国準優勝校に負けた。
だがピッチャーでホームランも打つ注目の選手だったので、専修大学の野球部から特待生としてのオファーが入り、入学した。ところが当時の専修大学野球部は日本で1~2位を争うスパルタ指導で知られ、あまりの辛さに(大学から離れた山奥の)寮を脱走する野球部員もいて、連れ戻されていたという。
この時代の先輩には、広島カープ人に入団した黒田投手や小林投手など、ドラフト1位レベルの人が多くいたとのこと。江波戸青年は3・4年生の時にリーグ戦で投げたが、この時も本番には弱かった。しかしこのスパルタに耐えたおかげで、精神力・忍耐力が磨かれた。野球優先ではあったが、ちゃんと卒業もできた。
大学卒業後は、川崎製鉄の野球部(実業団)に入社。実業団で準優勝やベスト4の実績を積む川鉄だけに優秀なピッチャーが多く、江波戸青年は思うように実力を発揮できないまま、やがて社内の営業職に就く。しかし決まったルートを回るルート営業に対して野球のような情熱を抱くことができず、どうしても打ち込めなかった。そこで、もう一勝負してみたいと考えて思いついたのが経営の世界だった。
営業で出会った建材会社の社長と懇意になり、「飲食業をやろう」と声をかけられたのがちょうどその頃。川鉄を辞めて、経営の勉強を始めた。経営学マネジメントの本を1年間で300冊以上読んだという。これが非常に面白かった。特に、人を重視する経営を説いたピーター・ドラッカーにハマったそうだ。
そして、その会社の飲食部門という形で新事業がスタート。セルフサービスの讃岐うどん専門店である。大学時代の野球部仲間の実家が香川県の山田うどんを経営し、大成功していたことから、東京で讃岐うどんをやれば成功すると考え、うどんの製法は山田うどんで学ばせてもらった。四国で繁盛しているうどん屋を何軒もリサーチし、それらを参考に店作りをした。こうして虎ノ門にて1号店(沙門空海)をオープン。20坪で土日営業なし、それで月商600万円の大ヒットだった。徐々に店舗を増やし、5店舗で年間1億円の利益を出せるまでになった。やっと「本番に強い」経営者になったのである。
しんぱち食堂1号店のオープンまで
だがうどん屋は夜が少し弱いと思い、対策を考えた。当時居酒屋は全般的に繁盛していた。たまたま石井誠二氏(つぼ八創業者)と会食の機会があり、それから3年間、居酒屋経営を教わった。株式会社八百八町の「ひもの屋」(干物居酒屋)が成功を収めていたことに着目し、昼はうどん、夜は干物の居酒屋という二毛作にして売上が向上し、強い店舗モデルができたのだ。
その後「越後屋八十吉」の名で、昼は干物定食、夜は干物居酒屋のスタイルにて大成功し、2009年には35店まで店舗数を増やした。また核家族・個食化といった時代背景の下で、西武新宿にて4坪8席で立ち上げた立ち食い焼肉「治次郎丸」も大ヒットとなった。この狭さで月商1680万円、坪売上は400万円。業界で話題となった店である。
いろいろな業種を大ヒットさせてきた江波戸社長は、ついに干物定食専門店として新宿に「しんぱち食堂」1号店を出し、成功させた。1015坪で月商600万円からスタートし、現在12100万円にまで伸長。さらに、フランチャイズを含めて出店を加速させている。
しんぱち食堂のストロングポイント
しんぱち食堂の売上トップ3店舗は、西武新宿店1850万円、新宿東南口店1700万円、人形町店1600万円である。西武新宿店は17坪なので、坪売上は何と108万円というモンスター店だ。看板メニューは①サーモンハラス干し定食950円、②ほっけ定食(半身)810円、③さば文化干し定食950円。この上位3品で商品構成シェアは40%を占める。
生ビール165円、ネギトロ99円は驚愕の価格だ。営業時間は朝7時〜23時が基本で、朝定食の4品は460円の安さである。
しんぱち食堂のFCビジネスにおけるストロングポイントは下記の通り。
1.オンリーワンの存在
それまで炭火焼干物の食堂という業種がなかった。これはオンリーワンの存在だ。干物に特化した、わかりやすくて専門性の高いコンセプトである。2.オペレーションの簡素化
「炭火焼干物食堂のファーストフード」と自認するだけあって、調理が簡素化されている。上下ダブルで焼くため、3~5分で焼き上がる。炭火で上下一気に焼くのはしんぱち食堂が考案したオリジナルの方法である。また、テーブルオーダーシステムとタッチパネルの自動精算機もオペレーションの簡素化につながっている。3.シルバー世代に強い健康志向
近年、自宅で魚を焼くことが少なくなった。それをあまり食べずに育った若い世代にとって、焼き魚定食は新鮮な食べ物になりつつある。また和食は健康志向の強いシルバーや女性に人気で、20代~6070代以上まで客層は幅広い。今後は高齢者市場が伸びていくので、しんぱち食堂のニーズはますます高まりそうだ。4.投資回収の早さ(1年半〜3年)
標準店舗は15坪20席で、客単価が975円。平均月収は1000万円。この場合営業利益率が18%だから、投資回収は1~3年と早い。これまでのFCの成功率は99%だ。ちなみに月商1000万円の場合、1日あたりの売上の内訳は、朝食5万円、ランチ10万円、ディナー20万円である。炭火焼干物定食という基盤だけで勝負できる業種なので、キャンペーンや新メニューも必要ない。「世の中に必要な求められている数だけ出店していきます」と、江波戸社長は語る。 数年以内の100店舗達成も可能と思われる、しんぱち食堂である。
開業資金と収益モデル
<開業資金>加盟金 | 500万円 |
保証金 | 50万円 |
設計管理工事費 | 3500万円 |
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初期投資 | 4050万円 |
<収益モデル>
売上 | 1000万円(100%) |
原価 | 345万円(34.5%) |
人件費 | 250万円(25.0%) |
家賃 | 90万円(9.0%) |
ロイヤリティ | 30万円(3.0%) |
その他経費 | 105万円(10.5%) |
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償却前利益 | 180万円(18.0%) |
【企業情報】
社 名 株式会社 越後屋
設 立 平成17年6月
所在地 〒108-0014 東京都港区芝5丁目30番11号
URL https://www.shinpachi-shokudo.com